メンバーコラム

27歳無職。僕は、一人暮らしの薄暗い部屋のベットの上で、Blindを上げる勇気を出した。

半年前の僕へ。

「すみません、今日は体調悪いので会社を休みます」

早朝の4時。朝まで眠れず、虚ろな目をしながら、勤めていた会社へ送る連絡。この言葉が、朝の会社連絡の常套句でした。

2018年6月28日、今(2018年12月)から半年ほど前。僕は、先行きと目標が全く見つからず、生きること・働くことに対して、諦めそうになっていました。夜明け前、カーテンを締め切り、部屋はとても暗かったのを覚えています。

ただただ「何者か」になりたかった。

僕は大学を卒業して、「何者か」になりたくて起業という選択をしました。もちろん就職活動もしてたけど、結局就職せず。会社員として生きていったら、きっと単調な毎日にすぐに飽きてしまうと思ったからです。

起業してからは、デザインの勉強を始めました。理由は、たまたま周りにする人がいなかったから。でも、独学でやっていくうちに制作に夢中になっている自分がいました。世界中の人とネットを通じて繋がる瞬間を、実務を通じて経験させて貰うことができたからです。

一方で、実力が伴っていない自分を思い知りました。それからは、制作物やクリエティブを外部の会社とコミュニケーションを取りながら業務の進行管理をすることに。その役割を「ディレクター」であるということは、後になってから知りました。

その後、尊敬する経営者の方々のご紹介で、とある制作会社の会社員になりました。

好きなことをしているのに、辛かった。

沢山の失敗と学びがありつつも、職種を旅する様に何種類も渡り歩いてきました。

ただ、僕自身あまり仕事を通して満足の行く結果は残せた事はありませんでした。その理由として臨機応変な対応ができないこと、複数同時に進行する案件でのコミュニケーショントラブルが主な原因でした。特に口頭で言われたりする事はよくうっかり忘れてしまったり。

もちろんその当時は慎重に業務を進めていたにも関わらず。なぜ、人一倍努力をしているはずなのに上手く立ち回ったり、仕事を効率的にすることが出来ないのだろう。

「向いていないんじゃないのかなぁ。」と周りからも言われる始末でした。

自分の役割と居場所をまったく見いだせなかった。

発達障害の傾向はあるけれど、かと言って凄く顕著というわけでもない。

大学生の頃から、コミュニケーションのすれ違いから必要とされない空虚感を味わい続けてきました。社会人になってからも、それは変わらず。人前ではヘラヘラと「大丈夫OK〜!」って感じで振る舞うのが得意になっていました。

グレーな僕は、本当に醜いアヒルの子。

「好きな仕事をしているはずなのに…。」

ずっと息が詰まりそうで死んでいる様な感覚で、終電まで体を擦り減らして働いても、どうしたら良いかわからない。それが一番の苦しみでした。

「一体じぶんは何をやってんだろう」

迎えた27歳の朝4時前。気づけば、僕は半分うつ状態で、不眠症になっていました。会社や職場で必要とされる人材に「なり切ること」に精神の限界が来て、遂に会社に行けなくなりました。2年程続けた会社員生活に終止符を打ち、僕は無職になりました。

今も、思い出すだけで自分自身が情けなくて、不甲斐ない思いが溢れ返りそうになります。

「何かしないといけない」深く自分と向き合い続け、窓から光が差し込んだ。

無職になって時間がたくさんできた僕は、生き方や働き方において、抱いていた気持ちや、自分が大切にしたいコミュニケーション・価値観・行動・スケジュールやタスク管理方法などの自分ならではの特性、これらの課題とその解決策をすべて整理し直しました。

整理しては、ブログやツイッターに投稿し続けました。きっと自分にとっての昇華活動をしていたんだろうと思います。その結果、直接相談に乗って欲しいという声やチャット相談をたくさん頂くようになりました。心配してくれた友人も声をかけてくれました。

「あなたに聞いて、整理して貰えるだけで救われる。」

チャットで何通ものメッセージが届きました。これが僕にとっての唯一の救済でした。人から必要とされる喜びを感じた瞬間です。閉まりきった窓から、一筋の光が差し込んだ気がしました。

人の靄が無くなる瞬間や表情の変化に立ち会えることが嬉しかった。

「ここに居ていいんだ」と会ったことがない誰かに言ってくれた感覚。言葉で僕を包み込んでくれる人がいる。

そうだ。僕と同じ様に働き苦しんでいる人へ、今いる環境に適応できない人へ、働き方の選択と働き方の工夫を、希望の光として届けることはできないだろうか。

多くの人が心で閉じてしまっているBlindを、そっと開けられる様な、清々しい朝をニュートラルな気持ちで迎えられるようにしたい。

6月末の深夜2時。Webメディア構想の元となる企画書を書き始めました。夜行性の僕は大体0時を超えてから発達障害ADHDの特徴、「過集中」が起こる。

半年経った今(2018年12月)。僕の周りには、10人を超えた人たちに支えてもらっています。

「Blind Up.」-働き方に悩む当事者がもう一度社会へ再挑戦できる世の中に-

僕自身、「自分の働き方」に長らく苦しめられてきました。学生から社会人になってからも「人生単位で付きまとう病」だと思ってきた特性との向き合い方。

誰にでもある事だから。自分には努力が足りないだけだ。

と心の奥底に長らく仕舞い込み、見えない様に覆い隠して来ました。自分を見ない様に「蓄積してきたこと」を徐々に発信しはじめて、やっと生き方や働き方と改めて向き合うことが自然とできているのだと気づかされました。僕は今でも皆と同じ様に苦しみ続ける「当事者」として、走っていける様に。悩む「当事者」たちがもう一度社会へ挑戦できる様にするために。

「大丈夫だよ」と隣で一緒に汗を流し、共に走っていけるマラソンの「伴走者」でありたい。窓の前にずっと掛かっているBlindを開ける勇気を持って。何度でも再挑戦できる社会を当たり前にできるよう。

メディアという「窓」から「半年前の僕へ」手紙を届けよう。これはきっとこれからどんなに辛い荒波が来ようとも揺らぐことのない信念の様なものになるはずだと信じて。

 

平成最後の締めに。
2018.12.31 坂 彬光

1期目を終えて。

実はまだ一度もメンバー全員と顔を合わせて会ったことがないんですよね。早くみんなの声を直接聞きたい。

ですが、一人ひとりが自立拡散的に活動しているのに対して心地よい関係性を築けています。

もちろん「直接会うこと」も大事ですがそれ以上に価値観や理念を共有していることこそがとても重要な気がしています。

緩いけれど、大切な5つの価値観。

・一人ひとりの価値観を受け入れて否定せず応援する。
・じっくり対話する時間を大切にする。
・「あっ、できるかも」と思って、手をあげた人が主体的にする。
・やってみて、加筆修正や書き換え作業をする。
・関係する全ての当事者に感謝と尊敬をする。

2018年内Webメディア動向まとめ

・各種SNSアカウントの立ち上げ(2018年11月3日)
・WebメディアOPEN(2018年11月12日)
・Webメディア取材、撮影(年内4名取材/2名予定中)

年内Webメディア体制まとめ

・事務局(4名/うち学生インターン1名)
・コミュニティ全体(約14名)
→現状まだご対応できていない方を含めると約20名近くに広がりつつあります。
・編集部(4名)
・SNS運用部(3名)
・動画撮影部(4名)

2期目(上半期)に向けて

2期目のテーマ「関西拠点を中心に事業化していくこと」

具体的な目標は「サービスを当事者へ、企業担当者へ(少額でも)1つでも多く提供していくこと」です。

その為の協業先は今後も増やしていく動きをしていきたいと思っています。体制もしっかり整えていきたい。そう思っています。

年明け動向Webメディアの目標

・インタビュー記事「伴走談」30記事を目指す。
・「動画コンテンツ」を開始する。
・「Webメディア内特集コンテンツ」を開始する。

年明けオンライン体制予定

・事務局(目標5名)
→渉外折衝ディレクター、サブディレクター、編集長、バックオフィス、学生インターン
・コミュニティ全体(目標30名)…ディレクター、ライター、カメラマン含め
・編集部(目標5名)
・動画撮影部(目標5名)
・Blind Up.北海道拠点構想(目標5名)

年明けオフライン動向予定

・関西拠点(「リトライブハウス」)をOPEN予定。
「リトライブハウス」とは…現代版トキワ荘型シェアハウスです。
縦社会ではなく横やナナメの繋がりを共通の価値観や目的を持って立場や職種を越え、経済的自立を目指していく社会に再挑戦する拠点に。リトライ(再挑戦)+トライブ(ある価値観のもと共通目的を持った集団)の造語。

・関西拠点体制の整備
・(仮称)伴走コンサルティング事業を開始する。
・札幌Blind Up.拠点構想を進めていく。

Blind Up.は関わりたい方をお待ちしています

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

今回の記事も含めて、Blind Up.は働き方で悩んできた「当事者」達によって運営されています。

自らの働き方を模索しながら、ライター・カメラマン等の「実践者」として関わってくれています。

もし、当メディアの運営に興味がある方は、以下の「関わり方」ページをご参照ください。

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