働き方に悩んできた当事者たちが、自分らしい働き方ができるようになったきっかけやその経緯、そして彼らを背後で支えてくれた「伴走者」について、当事者目線から綴っていく「伴走談」。
第2弾は、シェアアトリエBambiなど、アーティストのサポート活動をしているBambiさんのご紹介です。
サポート活動の傍ら、Bambiさん自身もボールペンアーティストとして活動中。「アーティストは、それだけでは食べていけない」という風潮が世間では強い印象ですが、そんな中で、「アーティストは食べていける」と彼は断言しています。
そんな彼も、以前は会社員として働いていました。アーティスト活動をしつつ、会社員としても働く苦労とその工夫、そして、Bambiさん自身がアーティストとして生きることを決めた原点と、彼を支えた「伴走者」について迫っていきます。
なぜ彼が、アーティストとして生きることができるのか。
今回は、4部構成でお届けします。
今までの活動の集大成であるシェアアトリエBambiで、お話を伺いました。
ライター:かめい(@okame1470)
カメラマン:はしー(@hashii_2)
インタビュー日:2018年11月11日
大学入学までは、いたって真面目な子
かめい(以下略)
今回はよろしくお願いします!お話するのは2回目になりますけど、以前はBambiさんの恋愛事情をめっちゃ聞いたのを覚えています。(笑)
はい。(笑)ただ働き方に関しては、このシェアアトリエBambiの管理人と、アーティストのサポートみたいな立場として活動されていることしかお聞きしていません。なぜ、そのような考え方になったのかをお聞きしたいんです。
そうですよねー。うーん、めっちゃ遡って、僕が19歳のときまで遡っても大丈夫ですか?そこくらいから話さないと、今のこの状態が話せないんで。
全然大丈夫です!もう、根掘り葉掘り聞きますから。(笑)
ありがとうございます。19歳なので、大学生時代になりますね。大学生までは、超順風満帆だったんですよ。いじめとかもない。「なんか周りと合わねぇ」っていう感覚はあったんですけど、発達障害というのも当時分かってなかったんで。引っかかることはなかったんです。
そこから大学に入学してどんな変化があったんですか?
大学って自主的に自分から勉強する必要があるじゃないですか。その環境もあって、「自分の嫌いなことはしたくない」って感情が芽生えたんです。
大学の生活に慣れていくうちに、その感情が芽生えたということでしょうか?
そうですね。高校までは真面目に生きていたことがありますね、大学になったときに、ちょっと調子乗ったんでしょうね。(笑)
大学入ってすぐに金髪にして、軽音楽部入ってやっていましたね。
やってました。「はっちゃけたい!」ってなったんでしょうね。(笑)
自分の中にはっきりとはなかったけど、何かしら感情を抑えている部分があった感じでしょうか?はっちゃけることができなかったみたいな。
そうそう。もう、小学校とかめっちゃ真面目に育てられたから。
だからだんだん、不真面目になっていって、大学生で爆発した、みたいな。
小さく芽生えた、デザインに対する興味
なるほど。事前にお伺いしているんですが、そこから大学の挫折にはどうつながっていくんですか?
大学には空間デザイン学科というところに入ったんですけど、そこはインテリアとか、建築とかを学べるコースなんです。実は僕、椅子がすごく好きで。
エーロ・アールニオのボールチェアっていうのがめちゃくちゃ好きなんですよ。
へぇー、え、どういう…ボ、え?ボールチェア?(呂律が回らない)
ボールチェア。普通に見たことあると思う。(画像を見せてもらう)
これを見たときに、「むっちゃ良いデザインやな!」ってなって。
そう。真面目に生きて、多少人の目も気にしていたので、おしゃれって思われたかったんでしょうね。それで、おしゃれなものを見るようになって普通に好きになったんだと思います。「僕もこんなかっこいい椅子デザインしたいわ!」と思って、学べる大学を探しましたね。
なるほど。そんな椅子を作るために選択したのが、空間デザインだった…。
その時点で表現に関する感情が出てきてた印象です。それが大学に入学して環境的に自由になったから、爆発したんじゃないかと。
自分の周りに真面目グループと不真面目グループみたいなのがあって、僕は不真面目グループに入ってたんですよ。授業も全然受けず、必須だけ受けて抑えるだけ抑えとけみたいな。
ただ当然、他の科目は落ちる。でも、必須は絶対に受からんといけなかった。で、その必須が受からなかったんですよ。
入学後半年での挫折
そう。みんなも打ち当たると思うけど、好きで本気でやりたいから乗り越えられるんですけど、僕は好きやけど本気になれなかったんですよね。
そんな感じ。その必須科目が自分にとってめちゃくちゃ難しかったんですよ。確か製図の科目で、それがすごく苦手で。多分これを仕事にしたいってなったら乗り越えて、本気でガーってやると思うんですけど。それができなくって。
大嫌いになりました、勉強が。椅子作りたいけど、建築の勉強が8割くらいだったので、なおさら。
勉強大嫌いになって、そもそも難しくてついていけない。それで、「自分めっちゃアホなんや」って気づいたんですよ。
入学して、たった半年のタイミングだったんですか?思ったより早いですね…。
早いです。めちゃくちゃ早いです。「なんか行けるやろ!」と思って、今までもなんとかできてたし。でも、全然無理やった…。
好きなはずの音楽が、ただの「逃げ」になった
それで、音楽に逃げ込んだんですけど、音楽も自分の絶対的にやりたいことではなくて、ただ好きなだけで。
「自分に才能がない」って、思いましたね。好きで、周りからも評価とかされてたけど、でもプロとしては全然…。結論、現実逃避のために音楽してましたね。
勉強が嫌いで、それに向き合いたくないという気持ちが強かった…。ちなみに、そのバンドの活動は、プロとしての活動までには…?
一瞬考えたけど、でもなんかこう、「ちゃうな」って思いましたね。それで、「自分何がしたいんやろ?何してんのやろ?」って感じるようになりました。どんどん視野が狭くなって、だんだん狭まってきて、シャットダウンしたんですよね、周りを。それで、大学に行かなくなったんです。
大学に行かず、家とマクドナルド・ロフトを往復する毎日
友達も、家族も。自分でさえもシャットダウンしていました。ただ、引きこもることができなかったですね。家族に言えなかったんで。毎朝「行ってきます」って言って、学校に行かずに、マクドナルドやロフトに行ってましたね。開店直後に入ったりしていました。
気持ち的にも物理的にも居場所がなくなっていった感じですね。ちなみに、ロフトを選んだ理由は?
そう。それで、良いもの、綺麗なもの、デザインされてるものを見ると、落ち着いたんやろなと思います。
今振り返ると合理的な行動に見えますね。先ほどの表現に関する話を考えると。
ちょっと僕の話になるんですけど、中学・高校と陸上やってたんです。全国一歩手前まで行けたんですよ。でも、そのせいで「陸上=僕」みたいな考え方になったんです。自分を表現するのに、「ここまでの記録を出したんやぞ!」って。
それで、相手を見るフィルターも同じように判断するようになったんです。それで、人間関係も築くのが難しくなって、分かんなくて、全然そんなことになっている自分に気づけなくて。めっちゃ自己嫌悪に陥ったんです。
あんだけ頑張ったのに、「なんで友達できひんの?」って、引きこもるみたいにはならなかったんですけど、ずっと本の世界に逃げていました。ケースが全然違うんですけど、自分の表現っていうのに関しては、共通点があるかなって感じました。
自分が「鬱」であることに気づく
それで、マクドやロフトに通うようになってから、鬱に気が付いたんですか?
そう。ただ、自分では気づかんうちに鬱になってて。周りから心配されるほどだったんです。家に来るくらい。
でも、そもそも鬱ってなんなのか、分からなかったんですよ。
それに関してなんですけど、鬱になったことがある方々が、何をもって”鬱”って言えるのか、ちょっと気になるんです。
確かに、自分も当時はただただ悩んでいただけだと思っていました。人目を気にして塞ぎ込んでるだけって。でも、「鬱じゃない?」って言われたときに、診断してみたんですよ。それが、全部当てはまって。「あ、これ鬱やん!」ってやっと気づいたんです。
でも、病院とかには別に行かなかったんです。その時は人に言うのが無理だった。
うん。「鬱やから病院行くわ」って言うのも恥ずかしかったし、親にも相談できひんかった。逃げる・やめるという選択ができなくて。ただ、遂に大学から「あなたはもう留年になります」って言う通知が入ったんですよ。「もう、いよいよやばいな」って感じましたね。「僕何がしたいんやろ?」って。
そう。でも、いつものようにマクド行っていた時、絵を描いてたんです。毎日毎日。もう頭が「うわー!」ってなっていたんでしょうね。それである日気づいたんです。「はっ!」て。「僕、絵描いてるやん!」って。
その瞬間が、絵で生きようと決めたきっかけになったんですね。
そう!一番最悪な状態、「もう死にたい」って何回も思ってるときに、「絵描けてるやん!」ってなったんです。それに加えて、今までずっと絵を描いてたことに気づいたんです。
「絵」に無限の可能性があることに気づく
うまくはないかもしれない。でも、こんな状態でも絵を描けるっていうことは、普通の時でも最高の時でも、どの状態でも絵を描けると思って。「これや!」ってなったんです。
鬱の時に書いた絵。「力の根源母なるマナ それを汚染・浸食するヒト 魚はついに空を目指し 鳥は羽ばたく事を忘れてしまう」というメッセージが込められている。
極限の状態まで追い込まれた時に自分がやってることが、自分の使命と言ったらいいんでしょうか…。
「本当に自分ができることは絵なんや!」ってなったんです。どんな状態でも。
なるほど。「無意識にやってることが才能」っていう話を聞いたことがあるんですけど、正直そんなの自分で自覚しきれないと思うんです。でも、Bambiさんは鬱がきっかけで気づくことができた…。
そっからはもう、人生めっちゃ変わりましたね。気づいたから。自分のやりたいことが“絵”やって。
「どうやったら仕事に繋げられるか?」っていう思考に一気に変わったんですよ。「もう大学にいる場合じゃない!どうせ留年決まってるし」って思って、専門学校に通うことに決めたんです。すぐに退学申請を出して、そこから半年間は学校決めと、学費を稼いで、専門学校に通い始めました。
ただ、絵を仕事にするのは、「画家じゃないな」って思ったんですよ。画家では多分無理。それで、自分の絵を活かせるのは平面のデザインだって思って、「グラフィックデザイン」を専攻したんです。
いわゆる「大学デビュー」を果たすも、半年で挫折してしまったBambiさん。
音楽へ逃げ込むも、自分は何かしたいのかわからず、どんどん視野が狭くなってしまう。
大学へ行かなくなり、家とマクドナルド・ロフトを往復する毎日。その結果、鬱であることに気づく。
そんな追い込まれた自分に残ったもの。それが“絵”でした。
うまくなくても良い。どんな時でも、自分ができること。それが「才能」だと、気づかせてくれました。
お話を伺いながら、かつての自分は自己嫌悪のあまり、本に逃げ込みつつも、浮かんだ感情をノートに書いていたことを思い出しました。それが今こうやって、文章を書く活動に繋がっています。
「自分が辛くなった時、何をしているか?」そこに自分らしく働くヒントが潜んでいるかもしれません。
“絵”で生きていくと決めたBambiさん。そこからの時間は怒涛に進んでいきます。
次回、「絵」で生きていくと決めた最初の一歩になった専門学校と、会社員と両立したアーティスト活動について迫っていきます。
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