働き方に悩んできた当事者たちの、悩みを乗り越えた経緯や、働き方の工夫を綴るインタビュー記事「伴走談」。
第4弾は、デザイナーの北村友莉(きたむらゆり)さんです。
高校時代、美術部でのポスター制作がきっかけで、絵の面白さに気づいた友莉さん。
もっと絵を楽しみたいと、美術系の大学に進学します。
しかし、大学でも環境の変化に戸惑うことに。
「このまま絵を続けたら、死ぬかもしれない」と、プレッシャーを感じるようになります。
絵で生きるために、四六時中ペンを握り続ける毎日。
それは、絵と向き合い続けた一方で、人とのコミュニケーションを犠牲にした、焦りでもありました。
大学でさらに絵の楽しさにハマっていく
かめい
友莉さんは、毎日描いた絵をInstagramにアップしていますよね。それもほぼ毎日。
友莉さん
作品をアップしないとそわそわするんです(笑) 。ちなみに、最初にアップした作品は、友人にプレゼントしたものです。A3サイズの用紙に、アルコールマーカーで一気に描き上げました。料理の本をもらったので、そのお返しに。
その作品は、いつ頃描かれたんですか?
大学3年生の時ですね。
その時から、ほぼ毎日描いては、Instagramにアップしているんですね。
そうですね。高校の時よりも10倍夢中になってますね(笑)。
大学生になって、さらにハマりだした…。
それに加えて、焦りもあったんです。
絵で生きる以外の方法が分からなかった
焦っていた?
絵で食べていくスキルを身につけないと、この先の人生を自分で決められないという恐怖が…。
当時からすでに、絵で生きていきたいと考えていたんですか?
大学生になってふと、「このままじゃ、ずっと絵を描くことが難しいんじゃないか?」って思ったんです。誰に言われるまでもなく。
気付くタイミングが早い…。僕はいかに友達に好かれるかだけ考えてました(笑)。
先が見えなさ過ぎて怖くなったんです。
絵を描く以外の選択肢は考えなかったんですか?
考えなかったですね。絵しか考えられなかったんです。だから、「絵を描けなければ、死んじゃうんじゃないか」って。
そんな感覚を、大学生になって間もなく感じていたんですね…。きっかけはどこにあったんでしょうか?
周りの環境への違和感から、絵を描く日々に
美術大学なのに、そこまで絵を描く人がいないって感じたんです。友達とおしゃべりだけする人もいましたね。「これはアテにならないな。」って(笑)。「同世代と同じ速度だと、このまま何もできず、絵を描けない人生になる」って思うようになりました。
周りの環境がきっかけで、自らプレッシャーを…。
与えていましたね。だから、「生き急いでいる」って、ずっと言われていました。四六時中ペンを持って描いていましたから。
四六時中、絵を描いていて、しんどくならなかったんですか?
描くことがオンでもオフでもあるんです。何もしないと余計なことを考えるんですよ。嫉妬とか変なものを。
怒るときは暇な時って考えていて。だったら、「生きている時間を何か作ることに使って、爪痕を残したいな」って。
怒るときは暇な時って考えていて。だったら、「生きている時間を何か作ることに使って、爪痕を残したいな」って。
正直、とてもストイックに感じてしまいます。でも、友莉さんにとっては、そんな感覚ではない…。
不安になるんですよね、何かを生み出していないと。私、インスピレーションは、泉から水が噴き出すような感覚を持っているんです。頭の中で湧き出たものが、線としてどんどん見えてくるんです。
泉から水が噴き出た感覚を抱いた瞬間に、描かないとそわそわしてしまう…。
そんな毎日を送っていて、生活パターンに何か変化はありましたか?
そんな毎日を送っていて、生活パターンに何か変化はありましたか?
画集が友だち
大学は最低と最高がドッキングしたような感じです。人間関係は最低レベルでしたけど、絵は最高レベルです。人と話す代わりに、絵の時間が増えたんで。アンバランスでしたね。
人間関係はトラブルじゃなくて、単純に話すことを減らしたってことですか?
人と関わっていたら創作意欲が減る感覚があったんです。
僕は人と話すことが、インスピレーションの源泉なんです。でも、友莉さんは逆に、湧きづらくなる…。
画集を見ている方がインスピレーションは湧きましたね。
人と話すより、絵と向き合ったほうが良かった…。
画集がむしろ友人扱いでした。私、相手の考えに共感することができなかったんです。それがとても気持ち悪くて…。
どのような感覚だったんですか?
人に共感できない自分を知ると、自分の生活を否定されたというか、自信を持てなくなって…。普通の生活ができなくなる、そういう恐怖がありました。
人よりも、画集とコミュニケーションを取って、絵を描く方が心地良かったんですね。
しかし、人とコミュニケーションを取らずに絵を描き続けても、生きることはできないと思うんです…。
しかし、人とコミュニケーションを取らずに絵を描き続けても、生きることはできないと思うんです…。
絵で社会とつながった瞬間
それは私も感じていました。「人と会話しないと生活できないのかな」って。だから、Instagramにアップし始めましたし、いろんな人に自分の絵を見せ始めました。
すると、大学3年生の時に、自分の絵を売り出す、外に出すキッカケになる人と出会ったんです。京都にある図案スタジオで、東京・京都・大阪に図案の卸しをしているんです。
すると、大学3年生の時に、自分の絵を売り出す、外に出すキッカケになる人と出会ったんです。京都にある図案スタジオで、東京・京都・大阪に図案の卸しをしているんです。
自分の絵を売る機会を得られたということですね。
はい。図案を見せて、売れたらデータをお渡しして、それを取り込んで生地にプリントします。毎週月曜日にデザインを4点送っています。
ずっと絵で生きていきたいと思っていたからこそ、絵を売る機会を得られたのは、めっちゃ嬉しいですね。
自信にもなりましたね。コミュニケーションが下手でも、自分の絵が欲しいって言ってくれる人がいて、それに対して対価を貰えるのは、絶対的な信頼だなって思いました。「コミュニケーションがなくても許されるんだ」って。「社会と繋がることができた」って感覚を抱きました。
僕の主観なんですけど、絵描きさんって、自分が描きたい絵しか描かないイメージがあるんです。図案を売るということは、お客さんの要望を考慮して描くということですよね?
そうですね。実は、自分の世界観には興味がなくて、どちらかというとお客さんが欲しい柄を描くことをやっていきたいんです。
お客さんが求める絵を描くことが、社会と繋がることができると経験したからですね。
自分の絵を売る経験と、デザイン会社に勤めるようになったことに、何か繋がりはあるんですか?
自分の絵を売る経験と、デザイン会社に勤めるようになったことに、何か繋がりはあるんですか?
社会と繋がったからこそ、自分の絵の可能性を試したい
もっと違う分類を取り込んでいきたい思うようになったんです。現状維持って停滞じゃないですか。
な、なるほど…。
お客さんの声を聞いて絵を描くだけだと、自分の絵が頭打ちしてしまうと感じたんですね。自分の絵の可能性を試したかった…。
お客さんの声を聞いて絵を描くだけだと、自分の絵が頭打ちしてしまうと感じたんですね。自分の絵の可能性を試したかった…。
あと、純粋に会社員に憧れてて…。
どういうことですか?
今までずっとひとりで制作してたので、組織の中で自分が活躍できることに、すごく憧れてたんですよ。
自分の役割が見いだせる場所を求めていた、ということでしょうか?
お客さんの声を絵にするということは、自分の好きなことでもあります。でも、どうしても生活面で不安定な部分もあって…。「安定して働ける場があれば、自分の絵を売る活動が、もっと楽しくなるんじゃないか」って思ったんです。
安心できる場所があるからこそ、自分の好きなことを突き詰められる、ということですね。
はい。だからこそ、知らないことに挑戦できると思うんです。
真剣に絵と向き合い続けたからこそ、絵で生きていきたいと、強く思い始めた大学時代。
その裏には、コミュニケーションの苦手意識による、焦りがありました。
それでも、社会と繋がることができる。
自分の絵を売ることができた経験が、人とコミュニケーションを取る勇気を与えてくれました。
組織の中で自分ができることをすれば、自分の絵の可能性がもっと広がる。
憧れであった会社員として、新たな一歩を踏み出しました。
最終回は、友莉さんの働き方についてお伺いします。
絵に向き会い続けた彼女は、どのような働き方を見いだしたのでしょうか。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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