テーマは #ワタシの空白期
人には普段なかなか語られない、様々な「空白期」があります。
それは何者でもない、うまく言えないけれど、自分のブランクを当たり前の様に語られる機会に対して肯定的ではない社会の雰囲気がある様な気がするからです。どうしても「その様な時間は無駄だ、意味がない、価値がない」とその時は捉えられがち。でも果たしてそうでしょうか。その時の挫折や感情は僕らは無価値だとは思いませんし、むしろもっと日常的に語られるべき事ではないか、と考えます。生きることや働いていくことに対して、模索を続ける当事者の大切な「ワタシの大事な空白期」を読者へ届く気持ちを物語に変えて。
#ワタシの空白期第2弾は、BlindUp.で記事の編集や執筆を担当しているサトウリョウタ。
現在はフリーでライターとして活動している彼が乗り越えてきた空白期。
#ワタシの空白期があったから今の自分が存在する。
だから悩んでいた時期は決して無駄なんかにはならない。
やりたいことが見つからないというモラトリアム期
「やりたいことを見つけなきゃ」
特にやりたいことがなかった学生時代。無駄に意識だけは高くて、自己啓発書や偉人の名言に刺激を受けていた。
刺激を受けるだけで何も行動を起こさない自分。起こさないというよりは起こせないの方が近いのかも。でもやりたいことが見つからないから、仕方がないと少しの諦めもあった。
そして、うじうじしている自分とは裏腹に、周りがどんどん結果を出していくから焦りを隠せない。
「自分も何かで結果を出さなければならない。」
僕は一体誰と戦っていたのだろうか?
見えない仮想敵と戦いを繰り返す毎日。何者かになろうともがいて、それでもやりたいことが見つからない毎日を過ごし、そんな自分に嫌気が差していた。
「インターンで営業成績が1番になりました。」という友人のFacebookを見て、自分が何もできていないことをただただ焦る。
「僕もやりたいことが見つかれば結果を出せるはず」だなんて勝手に勘違いしてみたものの何も行動を起こさない自分。
今日を変えなきゃ明日は変わらない。でも僕には今日すら変える勇気がなかった。
意気地なしのただの口だけ野郎だった。
何も行動を起こさない意気地なしの自分を変えたくて、僕は何者かになろうとした。
何者かになんてなれやしない。自分自身でしかずっと生きていくことしかできないのに、当時の僕は自分とは違う誰かになろうともがいていた。
自分の殻を破るというテーマを掲げ、大学最後の夏、僕は自分を変える旅に出た。
大学最後の夏、自分を変える旅に出た
普通に旅をしても何も面白くないから、ずっと興味を持っていたヒッチハイクで旅をすることを決意。
「ヒッチハイクなんて絵空事でしょ?自分にできるはずがない」なんて思っていた当時の自分。
どこを目指すか考えていると、ふと海を見たい衝動に駆られた。海といえば和歌山の白浜だなと思って、目的地を白浜に設定。
海が見たいならもっと遠くに行けば良いのに、少し近目の距離を設定してしまう辺りは、「やってみたいけど、できるかわからない」と恐怖を抱いていたんだろうなって。
そんなところも自分らしいなと今では少し笑うことができる。
天王寺がスタート地点。人生初めてのヒッチハイク。
恥ずかしさと断られることに少しの恐怖を感じていた。
最初の1時間は誰も見向きもしてくれない。
「やっぱり自分には無理だったんだ」
不安とできなかった事実が突如僕を襲う。
でも「変われなかった自分」に成り下がるのが嫌だったから、これまでじゃダメなんだと自分のことを鼓舞して、スケッチブックを掲げながら、止まっている車に声を掛ける。
50台を超えた辺りから断られることにだんだん慣れてきて、やがて断られることが怖くなくなった。
ひたすら止まっている車や走っている車に声を掛け、1時間がたった頃に、やっと初めて車に乗せてもらえることに。
「やった!」と嬉々として声を上げた渾身のガッツポーズ。
初めてヒッチハイクが成功した時の喜びを一生忘れることはないだろう。
そこからは最初の苦戦が嘘みたいに、いろんな車に乗せてもらうことができた。
ヒッチハイクの経験者や外車に乗っている人、トラックの運転手さんなどいろんな人に乗せてもらえた。
そこで聞く話はどれもその人の人生の体験談ばかりで、その人たちに悩みや葛藤に比べたら、自分の悩みなんてちっぽけなものだなって。悩んでいる自分がなぜか馬鹿らしくなった。
ヒッチハイクという小さな成功体験で得たもの
4台の車に乗せてもらって、念願の白浜に無事到着。
目の前に広がる景色は自分が変わることができた何よりの証拠だった。
自分にはできないと思っていたことを達成できたこと。
小さな成功体験が自分に自信を付ける大きなきっかけとなった。
おそらくヒッチハイクは人生の中で、そこまで大きな成功体験ではないけど、自分を変えるきっかけとしては大きなきっかけだった。
目の前に広がる景色は、自分の悩みをちっぽけなものだと思わせてくれた。
僕はヒッチハイクに乗せてもらった人からたくさんの話を聞いた。そこで得たことは「自分は自分以外にはなれない」ということ。
みんなが各々自分の人生を悩みもがき苦しみながらも、必死に懸命に生きているということを知った。
できるはずがないと思っていたヒッチハイク。
できないと思っていたことができてしまった事実。
できなかったことをできるようになるという小さな成功体験が今の自身の礎になっている。
結局、自分がやりたいことはなんだっけ?
夕暮れどきの海を見ながら自分の人生について考える。
「結局、自分がやりたいことはなんだっけ?」
結局のところ学生時代のうちにやりたいことは見つからなかった。でも自分の成功体験を自身の手で作れたことは自身にとって大きな前進だった。
あの時自分の悩みから逃げなくて本当に良かったなって。
自分から逃げるのは簡単なことで、自分と向き合うことは難しいこと。
僕たちの目の前に訪れる壁で乗り越えられないものはきっとない。
目の前に立ちふさがる壁を乗り越えた分だけきっと成長ができる。
自分を前に進めるために、目の前に立ちふさがる壁を乗り越えるのであれば、乗り越えるのに多少の時間が掛かってしまっても良い。
自分がなやんできた空白期はきっと無駄にはならないから。
人生の空白期は乗り越えたその後で自分にとって前向きな時間へと変えていける。
自分と向き合うということは、できない自分を認めることと同義。でも向き合わなければきっと今のままで明日を迎えることになる。
たとえ辛くても自分と向き合い続ければ、必ず答えと近づいていく。
自分と向き合い、壁を乗り越えた時の景色を見に行こう。
きっと自分にしか見ることができない景色が空白期の向こうにあるのだから。
そんな野暮なことを考えながら見た夕日を僕は一生忘れない。
寄稿者プロフィール
サトウリョウタ
1992年6月生まれ。大阪生まれ大阪育ち。
2018年9月にフリーランスとして独立。現在は「ライター」として活動中。BlindUp.では記事の編集や執筆を担当。オウンドメディアや雑誌などで文章を書いており、恋愛、グルメ、働き方などの文章を得意とする。
Twitter→https://twitter.com/RyotasannNo
Instagram→https://www.instagram.com/strt358/
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
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