伴走談

立場・年齢を超えて、自由に表現できる社会であって欲しい|フォトグラファー文岡茜【Vol.5-02】

働き方に悩んできた当事者たちの、悩みの乗り越えた方や、働き方の工夫を綴るインタビュー記事「伴走談」。

第5弾は、フォトグラファーの文岡 茜(ふみおか あかね)さんです。

大学時代のアメリカ留学がきっかけで、カメラと共に生きていくことを決めた茜さん。

だからこそ、自分の生き方を決まらない「宙ぶらりん」な自分と向き合えない葛藤を抱いていました。

彼女にとって、カメラはとても大事な存在。

そんなカメラと、どのように出会ったのでしょうか。茜さんとカメラの出会いのエピソードを伺っていきます。

勝手にカメラマンである自分をビジュアル化された

茜さんとカメラとの出会いは、意外なものでした。

大学1年生の時ですね。

大学にすごい変わった教授がいたんです。個別面談の予約して話をしてみると、「文岡さん、絶対カメラマンやり。」って突然言われたんです。「僕の頭の中でビジュアル化できたわ。」って勝手に。

当時、 何も分からへんかったから、「そうなのかも!」って思って(笑)。

海外へ行きたくて大学に入学したものの、右も左もわからない。

これからどうしようと考えていた矢先に、あまり話したことがない教授から突然言われた言葉。

しかし、彼女にとって違和感はなかった。

人と直接コミュニケーションを取ることに苦手意識があった。ただ、目の前にいる先生とは、初対面なのに不思議と落ち着く。クリエイティブな話が多く、思わず会話が弾む。自分と近い存在。

教授との話をきっかけに、茜さんはカメラの世界へと足を踏み入れました。

ファインダーから見える世界は、茜さんを駆り立てます。

外に出て写真を撮る日々。人混みの中も、カメラと一緒なら抵抗はない。

「カメラやってます。」

この一言が、自然に彼女と人を繋げる、魔法の言葉になりました。

「自分」のためから、「相手」のためのカメラへ

私ってカメラがないとコミュニケーションが取れない人なんです。

パーティーとか人が集まる場所がすごく苦手で、、、壁にもたれかかってるような人(笑)。

でもカメラがあれば、コミュニケーションがしやすくなるんですよ。

イベントや写真の展示会にも頻繁に通うようになった。出会った人から撮影の機会も得ることができた。

カメラはコミュニケーションツールだったと、彼女は語ります。

「だった」という言葉に引っかかりました。

カメラって相手と自分との関係性が映し出される媒体なんですよ。

だから、向かいたい場所へ背中を押してあげられる写真を撮りたい。

高いカメラが必要かもしれないけど、そこにはこだわりはなくて。私は、あくまで相手との関係性を大切にしたいんです。

「だった」という言葉は、カメラは自分のためだけじゃなく、相手のためにあるということ。

カメラのおかげで、苦手だった人とのコミュニケーションが自然とできるようになった。撮影の機会を重ねる度に、笑顔で写る相手の顔が、目に焼きつく。

「カメラで人を幸せにできれば」

自分のためだった写真が、相手のために変わる瞬間。

「もっと写真を学びたい!」という気持ちが、茜さんの中で芽生えます。

海外へ行きたい気持ちとカメラへの気持ち。

ふたつが重なり合う瞬間。

写真を学びに、アメリカへ行くと決意。

留学の時間が、「カメラと共に生きる」と決めた、大きなきっかけになりました。

「海外」と「カメラ」の境界線がなくなる

今では時々、目がカメラになってしまうことも。

もう見ることが撮ることになってますね。

天気が良い日だと、「良い光やな、コントラスト最高やん」って(笑)。

思わず、良い構図を探してしまう自分がいる。

コントラストが凄まじい場所を見つけると、「おっおっ?」ってテンション上がるんですよ(笑)。ボーっと見つめることもありますね。

普段から写真のことを考えてると、教育機関に戻ってちゃんと写真のことを勉強したいなって思ってて。歴史も学びたいんです。

最終的には、海外で写真を撮りながら生きていきたいと思ってます。

やはり彼女にとって、海外と写真は外せない。

生き方が決まった中、茜さんはどんな写真を撮っていきたいのでしょうか。

今思ってるのは、相手のミッションステートメントやビジョンを体現した写真を撮ること。名刺の写真撮影や加工も今後はやっていきたいですね。

「対等」でいてくれることの嬉しさ

きっかけは、ドイツのベルリンでフリーランスとして活躍されている、WASABI(@wasabi_nomadik )さんという女性。

働き方が多様化し、フリーランスになりたいという人が増えてきた。

しかし、実績もコネクションもない中、フリーランスになるのは大変。彼らが自立できる手助けが必要ではないか。

まだ写真家として、名乗る自信がない。でも、写真への思いが強い。

WASABIさんは、そんな茜さんの言葉を丁寧に受け止めてくれました。

だからこそ、WASABIさんからの言葉が生き方のヒントになりました。

自分の目線までおりてきて、親身になって話を聞いてくれたり、励ましてくれたり、アドバイスしてくれたり。そんな人になりたいなって思います。

思えば、カメラを手に取るきっかけとなった大学の教授も、対等に接してくれた。

対等に接してくれた彼らの言葉は、茜さんの中に深く染み込んでいる。

自分を表現してくれる、カメラという「伴走者」

だから、接客の仕事が苦手なんですよね。

接客の仕事をしていた時、「笑顔がない」や「そっけない」と、何度も怒られたことがあった。

「怒られたらどうしよう」と、周りの視線が気になって、「自分ってダメなんだ」と思ったこともあった。

「動きが変」

「宇宙と交信してる?」

自分と周りは違うということを、思い知らされた言葉。

他人から言われたことって、だいたいネガティブな言葉が頭に残ってるんですよ。逆に褒められると、「あ、そうなんや」って、いつもびっくりするんです。

人から褒められることにあんまり慣れてない。自分の脳が、褒められることを自動的に否定してると認識してます。

人と違うことを感じ、自分を表現できなかった苦しさを経験してきた。

カメラは、そんな表現できなかった自分を救ってくれた。

だからこそ、ありのままの、一番輝く瞬間を写した写真が撮りたい。

相手が行きたい先へ、背中を押してあげられる写真。

最後に茜さんは語ります。

最初はシャイな感じでも、慣れてくると、感情も引き出せるし、その人らしさが出やすくなる。もっと自由に表現できる社会であってほしい。

私が自分自身で表現をすることが、できなかったから。

過去を振り返ると、勉強しかしてなかったし、勉強だけが全て、みたいな頭でした。悩んで、海外に憧れがあるということに気付いて、浪人して外大に入って、留学するという目標を立てました。

海外で生きていくという目標ができて、今は夢をどうやって形にするかという段階だと思います。全然まとまってないですね(笑)。

最後に語った中に、「カメラ」という言葉がなかった。

言葉にする必要がない程、大切な存在。自分を表現してくれる「伴走者」。

しかし今は、自分のためだけのカメラじゃない。

撮られる相手も、自分を表現できるカメラ。相手にとっても「伴走者」であれるカメラを目指しているのかも。

彼女が決めた生きた方は、果たしてまとまってないのだろうか?

もちろんこの先、生き方を変えてしまうことも起こるだろう。また「宙ぶらりん」になるかれしれない。そんな自分に自信を持つ。

模索中でも、「カメラ」と共に今この瞬間を生きる茜さんを見て、伴走者は必ずしも「人」である必要はないことがわかりました。

絵でも、楽器でも、パソコンでも、紙とペンでも構わない。「人」じゃなくても、悩んだ時に一緒にいてくれる存在がいる。

そんな伴走者を大切にしていくことで、茜さんのように、変化が訪れるかもしれません。

ライター:かめい(@okame1470
ゲスト:文岡 茜(fumiokaakane

参考サイト:wasabiの海外フリーランス養成スクール

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