悩みと向き合い、乗り越えようとしてきた人びとのお話を聞く伴走談。
「あなたには今自分のいる居場所がありますか?」
自分の居場所がないことに悩む人はきっと多い。
家や会社、学校には自分の居場所がないという悩み。
「居場所がないなら作ってしまえばいい」
和歌山県田辺市で、カフェやシェアハウス2棟、シェアショップ1軒など様々な居場所作りをしている峯上さん。
さらにデザインの仕事やHP案件を企業から受諾し、一緒に働く仲間にお仕事を流すなど、働く場所の提供もしています。
今回は和歌山県田辺市で、居場所作りをしている峯上さんに、居場所作りをするきっかけや居場所作りについてお話を伺いました。
やりたいことではなく、なんとなく仕事を選んでいた
実家が梅農家だった峯上さん。そんな峯上さんは家業を継ぐつもりはありませんでした。
梅農園「峯上農園」はこちら
「もっとかっこいい仕事がしたい」という理由で、地元和歌山を出て、高専へと進学。
高専では就職倍率が高いという理由で電気情報を専攻していました。
高専を卒業して選んだ仕事はSE。やりたい仕事ではなく、消去法でSEになったとのこと。
でもいざ入ってみると「あれ?SEって本当に自分のやりたいことなんだろうか?」と疑問を持つように。
今振り返ると、自身に発達障害の傾向があったと話す峯上さん。
ー発達傾向があると気づいたのはいつ頃ですか?ー
峯上さん:「つい最近ですね。仕事しているときは気づかなくて。周りがみんな仕事ができているように見えていたから、自分の頑張りが足りてないんだろうなと思っていたんです。頑張ってはいるけど、なぜか周りに追いつかない。その結果、自分を卑下してしまっていた。」
ー自身が発達傾向があると気づいたきっかけってあるんですか?ー
峯上さん:「SEの仕事はスケジュール管理が大切。エクセルが細かくて、作業工程がしっかりとされていたけど、自身はスケジュール管理が苦手ででうまくいかないことが多かだった。自分はSAPという会社の基幹システムを企業さんに導入する部署。会社に導入しようとするとカスタマイズが必要で、そのカスタマイズ。納期があるのでできないとダメで、納期に追われることにプレッシャーを感じ、自分で自分を追い込むことが得意ではなかった。」
峯上さんは自分を追い込みすぎた結果、鬱になってしまい、会社を2年ほどで辞めてしまいました。
社会のレールからの挫折から来る人生への絶望
うまく乗っていたと思っていたレールからの転落。
この挫折経験が自分の自信への消失感に繋がるきっかけに。
バカ真面目に病院の先生に言われるがままに、薬を飲んでいたら、副作用がすごくて、どんどん症状が重くなり、初めはうつ状態で病院にかかったのに、躁鬱になってしまったとのこと。
躁鬱になったときの症状を峯上さんがこう話してくれました。
峯上さん:「躁鬱の時は会話をする時に目の焦点が合ってなかったし、じっとすることにストレスを感じていたんです。いわゆる異常行動。今なら人と普通に会話しているけど、目の焦点が合ってなかったり、じっとしていることが苦痛で、焦燥感に耐えられなくなって動いてしまったり、腕に力が入らないなんてことも。寝たくても寝れない。横になっててもそわそわすることが頻繁に起こりました。」
どんどん悪くなっていく自身の鬱の症状。
このままではいけないと感じ、峯上さんは実家に帰ることに。
実家に帰った後はこのままじゃダメだと思って、健康になるために途中で薬をやめた。
峯上さん:「最初の半年はしんどくて。でも、薬を飲んでいたらダメだと思って、自己判断で医者にもかからず、自力で治した。約1年ぐらいで回復傾向に向かったんですが、その間ずっと人生に絶望していました。」
ー人生に絶望していたときのことを覚えていますか?ー
峯上さん:「社会のレールに乗っていたはずが、そこに自身がついていくキャパがないということをなかなか受け入れることができず、人生に絶望してしまっていました。死にたいと思った時もありましたが、好きな漫画が読めなくなることが嫌だったから死ぬことには至らなかったですね。というよりは死ぬ勇気がなかったというのが本音ですかね。」
時計屋さんを始めてから2、3年はずっと絶望していたと話す峯上さん。
峯上さん自身を救ったのは漫画でした。
物語の主人公の奮起する姿やストーリーに自分の生きる理由を見出すことができたとのこと。
人生は何気ない事がきっかけで人生を大きく変えることがあるのです。
時計屋さんを始めたことが人生を変えた
ー時計屋さんを営んでいるという話なんですけど、時計屋さんを始めたきっかけは何ですか?ー
峯上さん:「高校時代にファッションに興味を持つようになり、時計を好きになったことがきっかけですね。でも、高校生にはとてもじゃないけど、高価な時計は買えません。だから、ヤフオクで中古の時計を買っていました。でもすぐに飽きてしまう。そして、飽きたら新しい時計がほしくなるんです。
新しい時計が欲しくなったときに、その時計をヤフオクで売ったら買った時より高い値段で販売できた。
その経験からこれが商売になるんじゃないかなって。学生時代からちょくちょく小遣い稼ぎをしていたこともあったため、自分の商売にすることにしました。」
自身の生きる理由を見つけようとした時に始めたのが時計屋さんという仕事。
そのきっかけは高校生の時の原体験でした。
きちんと乗れたと思っていた社会のレールから一度脱落してしまったことによる自信の喪失。
時計屋さんを始めた当初は自分に自信が全くなく、時計屋として稼げるようになってきて、ようやく自分に自信を取り戻すことができたとのこと。
時には逃げる選択も生きるために必要なこと
時計屋さんをやっているときに、同級生が過労死をしたことで、働くことに対して、もやもやを持つようになりました。
「友人には学生時代勉強を教わるなど恩があったけど、何も返せていないことを悔やんでいます。その友人が亡くなってから死んだことを知って、何も知らなかったことがとても悔しかった」と話す峯上さん。
友人に勉強を教えてもらったことに対して何も返せていないという後悔。
そして、過労自殺に追い込まれるまで働かなければならなかった社会に対しての違和感。
「なぜ死ぬまで自身を追い込んでしまったんだろう?」
「他に何か方法はなかったんだろうか?」
そんな疑問から自身のやりたいことがふわっと見えてきた。
そして、2018年5月に今の活動である「居場所作り」を始めることに。
峯上さん:「過労死がきっかけで社会が変わるかと問われてもなかなか変わらない。だからそういう人たちのセーフティネットである居場所が必要だと思ったし、そういう場所があれば友人は死ななかったんじゃないかって。」
2019年に自身のライフスタイルが大きく変化。
実家の家業である梅農家と時計屋をやりながら、最近シェアハウスなどを始めています。
ー自分の活動を模索しようと思ったきっかけは?ー
峯上さん:「とにかく『居場所を作りたい』という思いが強くて、その思いのままに田辺市に居場所を作ろうってなりました。最初は働き方に悩んでいる人たちを救いたいと思っていましたが、でも現在のビジネスパートナーである三浦くんがきてくれたことによって、『支援するではなく、仲間として伴走する』という考えに変わったんです。」
「辛かったら逃げたっていい。時には逃げる選択も生きるために必要なことだ。」
友人を亡くしたという原体験から出たその言葉にはとてつもない重みがありました。
「仲間」「居場所」「仕事」というミッションを叶えるために
ビジネスパートナーである三浦さんと共に考えて、掲げた「仲間」「居場所」「仕事」という3つのミッション。
1人では動きづらいし、細かい作業が苦手だから、三浦さんが自分の弱い部分を補ってくれているとのこと。
峯上さんはいけいけどんどんタイプ。でも三浦さんは冷静に物事を判断できるタイプだから、良いバランスの組み合わせで行動できているのです。
ーできない自分を認められるきっかけは何でしたか?ー
峯上さん:「自分の視野を広げたくて、300人以上の人に会いました。その中でできることは自分でやって、できないことは人に任せればいいということを学んだんです。だから自分のできることを最大限にやって、できないことをできる仲間を募る。そして、組織を拡大していけばいいということに気づけました。」
人生を変えた本との出会い
ここ1年半ほどでかなりの数の本を読んだ峯上さん。
本から学ぶために、自身が気になったら絶対に手に入れて読むほどの愛読家。
本を読むことで自身の方向性が見えてくるということが何度かありました。
その中でも二宮尊徳さんの「報徳記」という本から強い影響を受け、現在の活動のロールモデルにしているそうです。
(引用元)https://www.amazon.co.jp/dp/4800911451/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_lPqzEbQ758RG2
峯上さん:「物を背負っているイメージを持っている人が多いかと思うんですけど、実際本を読んでみると人間的に尊敬できる部分が多いんです。衰退している街を復活させていった人なんですけども、誰かに助けてもらうと考えても、人がいなかったり、タイミングが悪いこともあるということもきちんと加味して、正しい対応をして、街を復活させていた本当に尊敬できる人物なんです。」
ー今でいうコミュニティデザイナー的な感じですね。ー
峯上さん:「そうですね。人をよく観察していた人。物事が動くタイミングがあると言ってまして、変わる時でないと何を言っても無駄ということを学んだ。」
ー二宮尊徳さんの本との出会いはいつですか?ー
峯上さん:「まちづくりをしているときに、何かの記事がきっかけで出会い、気になったので、本を買いました。それで読んでみたら、いけいけどんどんな自分とは真逆で、ニュートラルに冷静に、物事を判断していたからまさに自分にぴったりな本だった。」
納得感を得ながらやりたいことを実現させていく
ー今現在峯上さん自体が今の状態に納得感を持っているように見受けられるんですけど、それは自分自身が今の生き方に納得しているのか。まだ足りないから模索しているからなのどちらですか?ー
峯上さん:「確かに自身の今の状態に納得していることもありますね。人に出会えば出会うほど、来てくれた人に対して、今の自分にできることがまだまだ少ない。自分を整理した上で、じゃあ何をするべきかという行動に繋がることをひたすらやるだけですね。焦点を合わせているという感じ。昔から「経験」を意識していて、今までに費やした自己投資額は200万円ほどになります。」
今の自分の状態に納得しながらも、自身の行動にはまだまだ満足していない峯上さん。
生きる上で「経験」を大切にしている峯上さんに「経験の大切さ」について聞いてみました。
ーなぜ「経験」を大切にしているのですか?ー
峯上さん:「時計屋時代からの話なんですけど、自分の生活コストを下げれば、本を買ったりも活動費に充てることができるんですね。今まで自己投資に費やした額は200万円ぐらいなんでけど、200万円の車を買うことか経験にお金を費やすかであれば、どちらが得か。考えると経験に200万円を費やした方がいいし、それで満足しています。経験によって自分が変わること。時計をたくさん持っていたけど、それを売り払って、活動費に充てていた。経験によって自分が変わる。もともと会社で働いていた女性がいて、会社が嫌になってしまった。カメラをやりたいけど、事務所開設費や編集用のパソコンが買えないという女性に投資をしたことがあって、その彼女がこの前新聞に大きく取り上げられていて、それがとても嬉しかったんです。」
子どもの頃に親から教わった「人に優しく」という考え
親から小さい頃からよく「女の子には優しくしなさい」と言われていたそうで、「人に優しく」という考えはそこから来ているとのこと。
人に喜んでもらえることが昔から好き。
いろんな人に助けてもらって今の活動があるから与えてもらったものを返したい。
助けてもらった経験があるから自分も誰かを助けたい。その気持ちをいかに社会に還元していくか。
それが峯上さんのモチベーションとなっているのです。
人に助けられたからその恩返しとして、現在社会活動を行なっています。
共に学びながら生き方を今後も模索していく
ー今後はどういう事業をやっていくのですか?ー
峯上さん:「教える教育ではなく、共に育つ共育をやっていきたい。今の学校の教育に不安があるということを感じています。引きこもりや不登校の子達に学びたいと思ってもらえるような環境づくり。それができれば自発的に学んでいくはず。学びの道中でやりたいことを見つけてもらいたい。やりたいことをやるきっかけを作っていきたい。」
「共育」という言葉を選択した理由は、「教える」という目線が上からになるのが苦手だったから。
同じ目線に立って、一緒にやることで本人がどうなっていくかを見ていたい。
それに伴って自分たちも絶対に成長するから、「共育」という言葉を選びました。教えるのではなく、共に学ぶ仲間を作る感覚。一緒に学びながら成長していく人たちをこれからも支援していきたい。
自分が鬱になった実体験。そして、友人を亡くした経験がきっかけで、和歌山に「居場所作り」をすることになった峯上さん。
「居場所作り」に正解はなく、共に学んでいく人たちの力になりたいと話す姿に、私たちも強い感銘を受けました。
峯上さん自身もまだまだ模索中。これからたくさんの壁にぶつかったりすることもあるでしょう。
でも、峯上さんの周りには素敵な仲間がいるからきっと大丈夫。
彼らの今後の動きに注目です。
“どこ”にいるかではなく“だれ”といるか|「ゲストハウス運営」三浦 彰久さん【Vol.9】
エディター:Saka Akimitsu(@ebinari)
ライター:Sato Ryota(@RyotasannNo)
ライティングサポート:Kamei Fumito(@okame1470)
カメラマン:Hashino Takahiro(@hashinon12)
インタビュー日:2020年01月13日
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
今回の記事も含めて、Blind Up.では働き方で悩んでいきた「当事者」によって運営されています。
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